「ここに判を押してっ!!!」

元気よく……いや乱暴といったほうが表現が正しい。それくらい勢いよく、俺の机の上にA4版の紙束を置いたのは、本井 桜子(もとい さくらこ)だった。

…俺の記憶が正しければ、確かこの生徒はこの高校の2年生で、学校内で最も足の速い少女だ。…玄関の賞状立ての中に写真があった気がするだけだが…。

肩につきかけている髪の毛が楽しそうに踊る。ころころと笑っているだけなら可愛い。

だが……今はそんな状況では無かった。

「ほらはやく!約束じゃんッ!!!」

桜子は、仁王立ちで余裕の笑みをもらしながら、用紙を突きつけてくる。
反対に、俺は泣く泣く引き出しから三文判を出してA4版の紙のしかも「顧問」という枠の中に判を押した。

「よしよし。さて、部室に行こう!みんなに紹介するから!」

ハキハキそう叫ぶと、桜子は天使のような可愛い笑顔を残し物凄い勢いで職員室を飛び出していった。

ああ……悪魔が…去っていった…もう来るな……

俺はため息をついて、三文判を引き出しにしまう。立ち上がる気力さえ失われていた。
そんな俺の姿に、職員室にいた別の先生方が後ろ指を指して見ている。

「狐乃先生…あの子たちに捕まったの。ご愁傷様ねぇ。」

同情するなら替わってくれ……しかしそんなこと言おうものなら、責任は貴方が取りなさいと言われるだけだ。渡る世間は○ばかりだ…世間の冷たい風にあてられていると…
霹靂がきた。

「先生!なにボケッとしてるの!はやくッ!一緒に行くんだから!!!!」

「…ああ…分かったから……って、おい!そんなに引っ張るな!服がちぎれるッ!!!」

有無を言わさず、俺を引きずっていく桜子。

「うだうだ言わないの!女子高生と並んで歩けるなんて、羨ましがられるんだからね!!」

「…お前とじゃなければ嬉しいけど…」

「何か言ったぁ?」

「…い…いえ…別に…」

「えへへ。狐乃先生と一緒だ~♪」

「ん?…何か言ったか?」

「べっつに~♪」

 桜子はニコニコしながら俺の腕を引っ張っていく。あの悪の巣窟に向かっているのだ…
そりゃ…足取りも重いさ…。
遠くから聞こえる工事の音がやたらに耳に入ってくる。それがまた俺を萎えさせた。
 門外高校は今、新しく校舎を建築している。昨今は、少子化のため生徒を得るのにも激戦らしく学校も個性がないと生き残れない。学校だって人間社会の一部だし、やはり人間の考えの枠を超えることは出来ないのだろう。俺にとったら、1年契約だし、この先この学校がどうなるかなんて、あまり興味はないが、今、行われている工事には結構関心がある。
 新しい校舎に興味があるのではなく、建設のために使う…例えば車やクレーンが危なっかしく狭い校舎の中を行き来しているし、建設中の5校舎は2年生の教室からは良く見えるのだが、非常に音がうるさい。俺はあまり大声を出すのが得意ではないので、なかなかシビアな授業状況だ。窓を閉めても、「聞こえません」とかいわれる。喉飴が必要な時もあるくらいだ。風邪はひけないと心に言い聞かせてある。
何も、生徒が学習しているときに作業しなくてもいいだろうに…まったく。

ああ…現実が嫌で違うことばかり考えてるな…
話が飛んでしまった…

まあ、そんな新築校舎はさておき。
今、俺が向かうのは3校舎。この地下には文化部の部室が並んでいる。
力を入れている、運動部には日当たりの良い、大きな部室棟が別に割り当てられている。強豪バトミントン部やバレーボール部などが部室棟を牛耳っていると聞いた。
春や秋には学校の窓から垂れ幕が下り、インターハイ出場などという文字が躍っていて、ちょっとしたお祭り騒ぎになるらしい。

……が、そんな学校の中で唯一、独特にして異常な部活があった。

たった一つだけ…。
【超常現象調査部】
……部の名前からして胡散臭いし、突っ込みたくなるでしょう?
ああ…涙が出てきそうだ……

こんな曰く付きの部活…顧問をやりたいという者などいやしない。
さらに厄介なのは、「超常現象調査部」に所属する少女達は、みな個性豊か過ぎる面々で、教師も、どう指導すればいいかもてあましている連中なのだ。
 
 部の内容も…尋常じゃない。情報によると部室から異臭が出ているという事件が起こったり、変な奇声が聞こえるという事件もある。さらには学校のまわりで小動物の変死体がたくさん見つかっていてそれがどうやらこの部の実験台に使われたという情報さえあるのだ。

…………

思い出したら…また震えが…
はっきり言って、俺は、「怖い」の「痛い」の「苦しい」のは、御免被りたい人間だ。
なのに…その俺が…よりによって…なんで…そんな危険極まりない部の顧問をしなければならいのか……

「先生!着いたよ~♪」

「…………」

…ああ…部室に着いてしまった……地獄の入り口に………

「先生~?」

「聞こえてる……」

薄汚れ、入ったら最後二度と出てこれないとでもいうような扉の前に俺は立っている。
扉には部名が書かれたプレートがつるしてある。逆さ十字に、かかしのように首だけのぬ
いぐるみが下げてある。なんとも悪趣味だ。

ここにくるといつも心が落ち着かなくなる。入る前に、ポケットの中に忍ばせてある「遺書」を確認する。
「遺書」と聞くと大げさな気もするかもしれないが、曰く付きの部だけに、最悪の事態も想定しておかなければならない。「ショック死」という事もありうる。
 それに「遺言書」には、もしこの部に関係して俺が帰らぬ人となったとき、家で俺を待っているかわいい弟(実際には弟ではなく親戚なのだけれど)の実琉(みる)へあてたものであった。
 家具や俺の財産はお前に託す、という内容だ。実琉が俺の家の居候になってから半年になる。あいつも、自分の身体のことでずいぶん悩んだ。前にも話したが、狐乃家の受けた「呪い」は、人を選ぶ。狐乃家の人間、全てに出るわけではないのだ。そんな気まぐれな遺伝子によって実琉自身かなり追い詰められていた。人間と違い、血を分けた家族とも違う。 家庭の中で居場所を失った実琉は俺のところに助けを求めてきた。雨の降る夜に突然ずぶぬれでアパートの前に立っていた実琉を見つけたときは驚いた。
 放心状態で、雨の中に蹲っていた。いくらフードをかぶり縮こまっていても、あのままの姿でいたら、通りかかった者に感づかれるのも時間の問題だったかも知れない。
……でも、本当に恐ろしいのは、本家に連れ戻されて、完全に逃げ場を失うことだ。
それは「死よりも恐ろしい結末」を意味する。

だから、放心状態の実流を見つけたのが俺で良かったと思う。それに、俺にとっても実流が居てくれることが有り難い。実流は、家事や料理がうまいんだ。
そんなこんなで、俺たちは奇妙な同棲を始めたわけなのである。

…ああ…実琉に会いたくなってきた………
……できるなら時を戻したい。
……あの悪夢の夜に……

 あれは一週間前の午後21時過ぎのことだった。その日、俺はテストの採点やノートのチェックをしていて、いつもより遅くまで学校に残っていた。結果的に、その日は俺が一番最後まで学校に残っていたから、日直の先生に見回りを頼まれていた。
 やっと仕事が終わったので荷物をまとめて、一度は玄関先に出たものの、セキュリティーセンサーの表示を見たら、まだ一つだけ赤いランプが点滅していたのだ。

これは、まだ何処かが開いていると言うサインだった。

俺は仕方なく、荷物を置いてきびすを返した。帽子をかぶり耳は隠していたものの、尻尾はおもむろに出ていた。しかしもう学校には俺しか残っていない。その現実に俺は油断していた。

…もう誰もいるはずはないと…と。

 ランプの位置から、鍵の開いている部屋が3校舎の一番奥の部屋であることが分かっていたので、俺はそのままここへ来た。
そして、この扉の前に行き当たったのだ。
俺は、そのときまではまだこの部の存在を(いわくを)知らなかったので悪趣味な扉だということくらいしか思わずに扉を開けた。そう地獄の入り口とも知らずに……。

がちゃり

ゆっくりと扉を開く。

…部屋の中には微かな光が灯っていた。

そして…そこには……

そこには……

少女がいた。

しかも…下着姿だ。少女の背中はすらりとしてとても綺麗だった。

ゆっくりとこちらを振り返る。

美しい黒髪がさらさらと揺れる。きりっとした表情が印象的で…俺は不覚にも見とれてしまっていた。

一瞬、本当に一瞬。思考がその少女に奪われていた。その一瞬(油断)が命取りとなった。

ばきぃいいいいいん!!!!!!!

「うぁああ!!?」

突然、大きな衝撃を受けて、俺は後ろに転げた。その拍子にメガネも帽子も吹き飛んだ。

「ちょっと!!!何勝手にあけてるのです!!!失礼な!!!!」

悲鳴が上がる。俺はいえば、突然の衝撃に俺は何が起こったのかも分からずに、ひたすら間抜けなことを言っていた。自分が呪狐姿を晒していることも忘れて…

「だ、大丈夫!俺はめがねがないと何にも見えないから安心して・・・・」

少女の着替えを覗いてしまったことを懺悔したい気持ちからだったと思う。我ながら間抜けだと泣きたくなるけれど…そんなことを繰り返し叫んでいた気がする。

が、衝撃はそれだけでは終わらなかった。

どさ・・・・・・

倒れたままパニックになっていた俺に、何かがさらに倒れてきたのだ。

「うぁぁぁぁ!!!今度は何だッ!!!?」

俺は、さっきの衝撃で、扉かはたまた本棚か何かが倒れてきたのだと勘違いして必死にそれを支えた。傍から見たら抱きかかえているように見えたかもしれない。
頭のこんがらがった俺はとにかく倒れたものを支えるので精一杯だったのだ。

…やけに柔らかい扉を必死に抱き留めていた。

恐る恐る…目を開く

「…………」

……俺の目に飛び込んできたのは…女の子の顔。

「!!!?」

血の通っていないような肌に薄い唇。瞳は閉じられていたがその美しさは疑いようが無かった。めがねが無くても、光が無くても、俺の瞳は少女の綺麗な顔を捉えていた。
でも俺の上に倒れてきた娘は、さき程の黒髪の少女ではなく…別の娘だった。

混乱していた俺だったが、それだけは理解できた。

そこへ霹靂が落ちた。

「ちょっと!!先生!!!いつまで惚けてるのよッ!!!もう!すぐデレッとして!!!」

バキィ!

再び、頭に衝撃を受けた。

「いってぇええ!!!」

我に返った俺は、慌てて起きあがろうとした………そのとき…

腹の上にまたがっている少女の冷たい手が、俺の手を導いた。そして俺の手は…
…何かを掴まされた。
柔らかい感触に温かさ。
これは……?俺の手に握らされたのは………???

パシャッ!!!

シャッター音のようなものが聞こえ、それと同時に暗闇に閃光が走った。
その閃光は俺の目を直撃して、視界を奪っていった。

「くッ……なッなんなんだ!!!」

目を押さえ、なんとか起きあがった俺の耳には、部屋から遠ざかる足音だけが聞こえていた。

……それからどれくらい経ったのだろう………

必死に、玄関まで辿り着いた俺を迎えてくれたのは…

実流だった。

俺の帰りが遅いので迎えに来てくれたのだ。
真っ青な俺に、実流は、大きな目を潤めながら心配そうにこう言った。

「お兄ちゃん……大丈夫…?何かあったの…?」

「……い…いや……」

決して大丈夫な状況ではなかったが、俺は努めて笑顔で実流に言った。
“何があったの?”
それに答えるだけの状況判断が出来なかった。今のは夢?とさえ思う。

「大丈夫だよ。迎えてきてくれたのか、ありがとう。」
俺はそういって何とか笑った。

…しかし悪夢は、すぐに俺の前にやってきた。
次の日。
気分は天気のように快晴ではないが、実琉がアパートの階段の下まで見送ってくれたから不安な顔は出来なかった。あれで不安な顔なんてしたら学校にまで着いてくる!といいかねない。俺は出来るだけ笑顔を保って出てきたのだ。

「今日は早く帰るから。」
そう約束して。

出勤した俺は、いつも通り職員の靴箱をあけた…そのとき一枚の紙切れがフッと足元に落ちてきた。それを何気なくそれを拾い上げて見てみると……

「!!!?」
……俺はフリーズした。数秒…数分……とにかく、頭の中が真っ白になった……。

それはスナップ写真で、俺と女の子が写っていた。

狐の耳を晒した俺と、その腹の上に居る下着姿の少女
……の写真だった。
見方によっては俺がその子を腹の上に横たえているようにも見える。そして俺の右手はあろうことか、その子の胸をつかんでいた。

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息をするのも忘れて俺は立ち尽くした。

写真の裏には、「話がしたい。夕方屋上へ。」
と書かれていたのだ…。

 つづく

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